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新生のらくろ君Aの館

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サウジアラビア時代その1



私がサウジアラビアで仕事をした時の日記です

サウジ駐在先

駐在先のジェッダという街はここです


ジェッダ駐在
仕事の見切りをつけてからほぼ一年が経とうとしていた。
余り外出することもなくなり、家にいる事にも飽きてきた頃である。自分ではこのまま隠居してだらだらと余生を送る気持ちなどは毛頭無かった。かといって、別に当てがあるわけでもなかった。
とりあえずは、会社都合にさせた退職だったので、失業保険も最高期間給付されることになっていた。とりあえずは、その給付金を目いっぱいもらってからなどと漠然と考えていた。

それも後2ヶ月を残す頃、ジンバブウェでお世話になったMTaさんから突然電話があった。MTaさんは、先頃パキスタンから帰ったと言っての電話だった。久しぶりに飲みましょうかと云うことで武蔵野線沿線の彼の家の近くで会うことにした。
飲みながら話していくと、彼は、サウジに行く気はないかと切り出した。確定した話ではないが、自分を登録している会社から話があったという。
彼は既にイランへのアサインが決まっており、誰か適当な人はいないかと云われているらしい。そこで、昔のよしみで私を紹介してくれたという。
私は特に当てもなく、春に申し込んだJICAは落とされ、そろそろ秋の募集かと気にしていた頃だったので随分と閑であった。

サウジがどんなところかという予備知識は全くなく中東のでかい国だくらいの認識しかなかった。少し興味を示すと、彼は、是非登録会社に行けと勧めてくれた。彼からも連絡しておくと云うことで、とんとんと話が進み、登録会社の紹介でJGC社に面接を受けに行くことになった。
エネルギー関連のJGC社は自分には不向きかとも思われたが、鉄骨を扱うと聞いて、それならと気を取り直した。

横浜みなとみらいの本社を尋ねて面接を受けた。仕事の内容とサウジに一人で赴任するという条件を聞かされた。自分は賄いが出来ず、過去フィリピンやジンバブウェで、体調を壊したこともあり、こちらからの条件として、食事が規則正しく取れることを条件に出した。
既に何人かの被面接者が来ているようで、別れ際に面接者(JIさん)は後ほど通知しますと云うことで別れた。
面接で、貴方のような立派な経歴者は私どもにはもったいない・・・といわれると大概ダメなのだが、今回はそれはなかった。
数日は登録会社に人との連絡を待っていたが、突然、JIさんから直接メールが入った。内定したので詳細を打合せに来られたしと云うことだった。2月25日の面接から2週間経たずのことだった。

それからは渡航準備で、国際免許を申請したり、健康診断を受けたりしながら、横浜へ通勤し、プロジェクトの内容の簡単なブリーフィングを受けた。メールのシステムなどは簡単に受けただけだったので後々苦労をした。とりあえず大まかなミッションの説明の後、桜の下での歓送会を受け、4月11日サウジに向かうこととなった。成田へは一人で向かった。
その日は曇天だが、結局傘を使うまでではなかった。荷物はABC(クーリエ)で送ってあるので身軽なものだった。
成田空港のABCは奥にあり、荷物は難なく引き出して、CathyのカウンターEへ向かった。隣はたくさん並んでいたが、Eはがら空き状態で、カウンターで、名前を言って(PTA番号は聞かれなかった)チケット受領した。

成田空港は、4年前に昔の会社の社内旅行とかで行って以来だった。JGC社担当者からは、飛行機はエコノミーかも知れないと聞かされていたので、なにやら憂鬱であった。過去の何れの出張も、ビジネスクラスであったからだ。時代はそこまで変わったのか、と感慨したものだ。成田でのチェックインの際にそのことははっきりした。渡されたボーディングパスはビジネスクラスのそれだった。確かめたが、係員はビジネスだという。ラッキーである。そうであれば、重量をあまり気にすることもなかったのに。往々にしてこうしたものである。出足からさい先が良いなと感じたものだ。

機内預けの荷物(大きなスーツケースだけ)以外は、手持ちで、通関手続きに赴いた。空港使用料はいらなかった。機内持ち込み検査では、ブザーが鳴ってしまって、往生した。イミグレーションは16ゲートあるのに使われているのは8ゲートだけで、どこも長蛇の列が遅々と進むだけで20分以上はかかった。海外に出る時では、ここが一番嫌だ。ビジネスクラスでキャセイのラウンジを使う旅は久しぶりだった。
イミグレで時間が掛かったおかげで余裕がなくなった。サウジでは、酒はだめなので、黒ビールを3杯立て続けに飲んだ。
しばらくすると、搭乗案内があり、ゲート17に向かう。ここではエコノミーの列を尻目に、ビジネスクラスはいと簡単に機内へ。このときの優越気分が何とも言えない。ビジネスシートはゆったりしている。日本人アテンダントは一人だった。他は中国・マレーシア・シンガポールと後はインド人と多彩である。
11:00Take Off、高度3000mで早速機内食攻勢である。赤ワイン3杯で気持ちよくなり、しばしまどろむ。幸い隣の兄ちゃんは中国人で、窓のシェードを閉めてくれという以外は一言もしゃべらなかった。
気がつくと、着陸態勢だった。もう5時間も経ったのか16:00チェックラップ・コック空港にランディングした。飛行機が着陸時私はいつも高度の変化に対していつもこう思いながら着陸を迎える。此処で落ちたら100%死ぬな、とか、此処までなら60%くらいは助かるかな?等々である。幸い100%助かって着陸を果たした。チェックラップ空港は新しいが、ばかでかい。
転機(Transfer)を目印に進み、リニアで、隣の駅に行った。案内が全くなく、若干不安なので、係員に聞いたら案の定、それはあっちだと云われ、寂しげな通路から、No27Gateに向かった。腹立つくらいに広く、ラウンジは、端と端にしかない。長がーい動く歩道で、向かったが、1時間の時差もあり、下手に遅れるとやばいと思って、ここのラウンジはパスすることにした。

16:45無事乗り継ぎ機に入りこんだ。日本人客が7-8人はいた。みんなラフな格好をしている。到着はドバイ→バーレーンだから、仕事以外の客はなさそうだった。一見モスリムとわかる連中も多かった。
またまた、機内食攻勢があり、その後テレビを見て、うとうとした。なんだか時間の感覚がなくなってきた。フライトは8時間半と言うし、そして到着は現地時間だから、ややこしい。時計は修正していなかったので、日本時間のままで夜中の1:00ドバイに着いた。
ドバイではあらかたのアラビックは降りたが、何人かの日本人はまだ残っていた。オイル関係の人間かもしれないと思った。
我々は機内待機のまま、黒人が機内清掃で動き回る。

機は2時50分再びバーレーンまでの1時間ほどのフライトを経た後3時50分(現地時間21:50)やっとBahrain International Airportについた。荷物を受け取るべくベルトコンベア前で待つが、出てこない。係員に聞くと、隣だという。隣はCX730と書いてある。自分が乗ってきた機はCX731だから違うというと、「出てくる」、同じ香港からだと素っ気ない。やがて出てきた。初めてのインシャ・アッラーである。
入国Immigrationだが、早口で、どれだけ滞在かと聞かれる。すぐサウジに行くというと、15$だという。Visa代は果たして6$だった筈だが、と思ったが、15$払う。領収証をくれたが、後で見ると、5$となっていた。果たしてこのお兄さんは10$ごまかしたのか???
何となく出口を出ると、大きな字で、Mr.○○のネームカードを持った、オバQおじさん(Mr.Sultan)が立っていた。

アバヤとトーブ(ブログ).jpg
ここではみんなこんな格好で歩いている。

俺だと、手を挙げると、にこにこした。隣には、友人という、Mr.Obaidiがいた。なんとこのおじさん日本語がぺらぺら。ちょうど同じ機のビジネスで、愛知万博会場から帰国したと言った。Engineerだという。顔写真入りの立派な名刺をくれたので、僕もとっておきの顔写真入りを渡した。
一緒の車で、ダンマンまで乗っていって良いかと言うから、OKした。ここでは(サウジ)酒が飲めないけれど、Bahrainは自由だから時間が出来たら、一緒にBahrainに行こうといった。リップサービスである。
Mr,Sultan がDamman事務所に頼んでおいた携帯電話を渡してくれたので、お互いの電話番号を交換した。先にアルコバールに駐在しているYTさんから約束の電話が入り、明日朝6時45分に食堂で落ち合うこと確認した。
コーズウェイ(途中:国境)でPassportチェックがあり、車の中で書いた入国証を渡した。バゲージコントロール(通関)では日本人ということで(さらにJGC社)難なくパス。あっけない。きわどいものでもOKのようだが、そんなことをしてはいけない、いけないと戒めた。
10:00PMにホテル(宿舎)着(この時既に時計をサウジ時間に調整していた)、離れたコテージで、やっと落ち着く。きれいな部屋だ。バスタブにお湯を張り旅の疲れを風呂でいやした。

翌4月12日
いつものように早く目が覚める。といっても今がここでは何時なのかわからない。(6時間差)。朝食のバイキングを食べた。2個の目玉焼きは若干色が薄かった。食べ終わる頃、YTさんが来る。鼻ひげのまじめそうな人だった。30分ほど食べながら案内をしてくれて、明日Jeddahに行くという。分かれて、部屋で運転手を待つ。TVはNHKがずっと流れている。ちょうどお昼のNHKニュースで、日本で見たのと同じアナウンサーが出ていた(之当たり前)

9:00またSultanが来てくれた。何かというと「Boss!]という。英語はあまりうまくなく、おとなしい。砂漠を突っ走った後、やがてDamman空港に着いた。空港は5階建て分くらいの吹き抜けでばかでかく、人は極端に少ない。Sultanは荷物を持って、当然、中迄来てくれるのかと思ったが、「Bye,Bye]という。「え!」と思ったが、まあ良いか、と分かれた。
ガランとした空港の国内線、どこに行けばいいかと聞くと、予約の番号はと聞かれた。ないというと、2カ所をたらい回しされ、最後は仏頂面で、荷物2個とも預けさせられた。ボディーチェックでは上着をそっくり脱いで、時計その他すべて出したが、チェック音がする。ベルトも脱いだ。まだ音がする。ポケットのものをすべて出せというから、ガムしかないよと言ってそれを出したら、今度は音がしなかった。そら見ろ、と係官が言ったが、何で?と今でも腑に落ちない。

Jeddahまでは短い時間(2時間)だが、ビジネスクラスで、ゆったりだ。隣の白人はなにやら書類を見ていた。「Marketing Strategy]と見えたから、営業屋さんかも知れない。いっさい口はきかなかったが食事時テーブルを出すのを手伝ってやったらThank youといった。
13:00予定通り、Jeddah空港に着いた。バスで、建物まで移動だ。バスでは、黒いアバヤ姿の女性が座っていた。座席が空いていたので座ろうかと思ったが、座らなくて良かった。For Female & Child Onlyとあった。目だけの女性が、目の周りにアイシャドウをしていて、その目でにらむので、なにやら恐ろしい。

Jeddahでは荷物がすぐ出てきた。やれやれである。くだんの女性も隣で待っていた。
カートに荷物を載せて、さてどこが出口かと押していくと、人が立っている。「Taxi?] と声をかけてくるので、Not Necessaryと断って看板を見ると、やっと小さな「Mr.○○」を見つけて、「Hello」というとにっこりしたのは、190cmはある、後で聞いたがエジプト人のドライバー(Abdu君)だった。
気持ちの張りがやっと抜け、どこをどう走ったか、Sands Hotelについて、明日の迎え時間を約束して分かれた。
部屋はそれほど悪くなかったが、どうやらバスタブが良くない。ここに1年もいるのかという感じだったので、フロントにクレームして、部屋を変わりたいと言った。では明日だという。「ブクラ」(明日)かと、若干気になった。
その日は、物珍しさもあって、併設で日本食の、「ベニハナ・レストラン」でイカの炒め物と、ご飯を食べた。それが一番安かったが、30SR(イカ)+8SR(飯)とタックスで43SR(約1500円)だった。すしなど高いものは70-100SRだったので、おいそれとは行けない。
それから寝たが、時間の感覚がわからず、短時間で目覚め、そのまま起きていた。ここはどう探しても、NHKは出ない。どうなっているんだと聞くと、どうやら紅海側はだめらしい。「残念!」

4月13日になった。
朝、時間通り、8時に昨日迎えてくれたドライバーのAbdu君が来てくれた。色は黒いが、なかなかハンサムである。好青年と見受けた。後で聞くと、2人奥さんがいて、エジプトアスワン出身という。給料が安く出稼ぎらしい。
ホテルから、AIC社迄は40-50kmで、高速道路はなんと片側4車線だ。レーン自体も広く、路肩もあるからゆったりしている。ただそれだけに通常140-150km/hで突っ走り、車間距離はほんの車1台分しかとらないから、冷や冷やものである。そして隙間が出来るとすぐ抜いていく。まあ、何かあったら、おしまいである。概して帰りの方がゆっくり走るようだ。

AICに着くと、会議室に通された。そこで現れたメンバーは下記の通り。(下記)

1)アマール氏:ヨルダン人(推定46歳):Project Manager
小柄で、真面目そうである。
2)通称トティ氏:フィリピン人(推定39歳):Project Engineer
之も真面目そうである。バタンガス出身
3)ニザム氏:インド人(推定36歳):営業屋
丸顔のちびで、人なつっこい。
4)アケル氏:設計屋
  ちびでひげがやたら濃い。
5)ブショフ氏:南ア人:副社長
紳士であると思ったが、かなり豪腕らしい。
6)ワシム氏:イエメン出身のサウジアラビア人:社長
温厚そうな人。
7)アドナン氏:営業屋
スキンヘッド

11時にYT氏が来所すぐミーティングにはいる。最初だから、YT氏のペ-スで進行。まだ加工が始まっていないので、ほとんど問題はない。ただ、Hold(未定図面)が多くこれから注意していかないといけない。Revision Notice3枚にサインをした。仕事始めである。
昼食のサンドイッチを食べながら会議した。副社長も顔を覗けて、サンドイッチを2個ほど持っていった。雑談では、紅海側にはきれいなビーチがあるので連れて行ってあげろと言っていた。
宗教やアラブのことなど話題になったが、ここは人種の坩堝みたいで、複雑そうだ。大概はモスリムだが、トティはクリスチャンだった。
13日は初出だったので早めに切り上げて、YT氏がカタールの現場に行くので空港まで送って、ホテルに帰着いた。
夕方といえ暑い。すぐ近所(といっても5-6分歩く)のインド、イタリア料理レストランへ行った。ウェイターはインド人と、フィリピン人(パンパンガ出身)。その時、名刺を入れたケースがないのに気づき少し慌てた。ホテルフロントに電話するも要領を得なかった上、携帯の調子が悪く(向こうの声は聞こえるが、こちらの声は聞こえにくいらしい)気になった。
そそくさとこってり味のパスタを食べて、急いで戻ったら、部屋に忘れていた。しっかりしているようでも、飛んでいるので注意をしなければ行けない。部屋を変えると言っていたのでフロントに言うと、今は一杯で、空きがない、明日変えるといった。またブクラか?
何とかバスタブにお湯を張り、風呂に入った。TVはもっぱら英語ものだけをみた。アラビア語は独特で、とりつく島が無い分、英語がこんなにありがたいと思ったことはない。

4月14日になった。
今日は30分早く7:30にピックアップを頼んだ。Abdu君はきっちり時間通りに来る。気さくで、モスリムのことなどもいろいろ教えてくれる上、いろいろ話出来るので助かるが、朝のカーチェイスは何とかならないものだろうか。
朝ホテルを出る前に、フロントで部屋変更の話をすると、すぐ変われるという。ボーイと一緒に見に戻ると、今度はキングサイズのダブルベッドがツインの大きな部屋で、さらにバスタブもきれいだ。格段に良い部屋だった。窓の先は塀だが、景色を見るわけでなく、即座に変わることにした。
ボーイに荷物の移動を頼んで、AICへ。早速自分の執務室をもらって、そこに陣取った。サウジでは今日(木曜日)は半ドンで明日金曜日は休みなので、打合せは土曜日に延ばした。(どうも勘が狂う)国際電話の調整は出来たが、パソコンのインターネット接続はエンジニアがいないとかで出来なかった。
何事もポレポれだと言うことを戒めてのんびり行こうと決めた。横浜のMKさんには、昨夜電話して無事着いたと言ってあるので、、電話を交換(Damman事務所のNelson が電話は中古で調子が悪いので、新しいのと交換し、国際電話が使えるようにして、今度YTさんが来るとき託すると言ってきた。)なぜ初めからそうしないんだ。電話番号も登録をすませたのに。
自前のデータベースのプログラミングを修正し、ホテルでも時間があるので(出かけるところはなく、テレビもたいしたこと無い)仕事が3倍くらい出来るだろう。
ここの人間は休みが少ないせいか、皆週末を楽しみにしているようだ。「Have a nice weekend」という言葉の意味がよくわかる。
ヨルダン人のプロマネに通常、木/金はどうするんだと聞くと、「ショッピングや、何やかやで、家庭奉公する」という。猛烈社員じゃないがどうしても週末は家庭奉公しなければいけないらしい。
帰りのAbdu君に結婚のことで、サウジに見合いなどあるのかと聞くと、「親同士が決めて、結婚するまではお互い知らないらしい。家族の了解やなにやら一生懸命話してトントン拍子に話がまとまって、全く問題なく進む」のだそうだ。そして最後に、結婚した瞬間、大問題が発生するのだと言って、お互い大笑いした。なかなかユーモアのセンスも良い。
この日は、マクドナルドに立ち寄り、ビッグマックとコーラを買って帰った。14SR(480円ほどの昼食兼夕食だ)
若干、日本食を持ってきたので、当面は暑い町に出て行く必要もないので助かる。
気になっていたランドリーも袋に一切合切を入れて出しておいたら出来てきたので自分で洗うこともないと思った。ちなみにお値段は、(1SR=30円)
Tシャツ5SR、普通シャツ6SR、アンダーシャツ・パンツ4SR,ソックス2SR,タオルハンカチ2SRだった。
スーツが一番高く(まだ出してない)25SR,ジャッケットは15SRのようだ。
今朝も面倒なので、ホテルの朝食を食べたが、43SR(1300円)と高い。明日からは、ファストフード店で買って帰ろう。(14SR=420円だからこの差は大きい)
冷房をつけたが、付け続けると、寒くなるほどであり夜中は消す。外は蒸し蒸しだが、部屋の中は、事務所もホテルも快適そうだ。
一つ失敗したのは、持ってきたインナー着の裾が長くひきづる事だ。足は長いのに、それ以上にズボンが長い。
1日5回のお祈り時間になると、今も外では、ご詠歌のような、祈りへの誘いの言葉が朗々と流れている。「アッラーハアクバル・・・」
今日は、持ってきた漢方のおかげで、すっきりさわやかに、空っぽになったようで、その収穫に大満足である。昨日までの下腹の突出はなくなった。感謝、感謝。
ようやくサウジでの生活が始まろうとしていた。まだ本があるし、英語の勉強もあるし、持ってきたゲームも試していない。おそらく暇で困ることはないだろう。之からの生活を冷静沈着にして、舞い上がらないようにしなければと自分を戒めた。

4月15日になった。
今日は休みだ。ムスリムでは金曜はホウリーデイだ。終日パソコンで仕事用のデータベースを修正し、おかげで、使える「Progress Contl」ができた。
何やかや食べたので、この日の夕食は抜いた。

4月16日となった。
AICにくる前に、T/Cを現金化しようとしたら、一般銀行ではだめだった。T/Cはトラブルサムだといっていた。日本ではそんなこと誰一人いわなかったが、現実はこうである。(Jeddahだけか?)ともあれ1カ所だけ可能で、両替した。Rateは500US$=1850SRだった。これはホテルでも同じだった。両替所の親父は疑い深く、パスポートのサインとT/Cのサインが違うという。見ると、Passportのはやや楷書的である。「そらちがうわ」といってやったらいぶかしそうに両替OKの紙をくれた、今度は1階でということだ。手間がかかる。
ついでにスーパーマーケットに行って、果物、パンを買って会社に出勤。スーパーは日本の近所スーパーの3倍以上あって、何でもそろう。
会社では本格的に仕事始めた。まだパソコンの設定はできない。
Paint検査の立会をした。

YTさんから月曜日は行けないと連絡が入った。B32変更がでているにもかかわらず、サイトの建方は15日早めたいという。AIC都合を打診してくれという。トティはできないという。どう見ても材料搬入から考えて無理である。翌日トティと詳細を詰めることとした。
やがて、パソコンの設定にやってきた。社内LANケーブルとつなぎインターネットは出来るようになった。(ただし今日17日)再び設定が変わっていて出来ない。さらにLOTUS NOTESも中に入っていけなくて、メールはなかなかつながりそうにない。
再三督促するも、のらりくらりでやる気があるのか!口では何か困ったことないか、いつでもいってくれといいながら、全く解決しない。仕方なく、手書きファックスで本社にB32の件問い合わせる。またファックスがうまく届いたかどうか不明である。

ばたばたした1日が終わって、帰路についた。新しい道ができた(H.W)といって、そこを通った。H.W.では車間距離を十分にとらない上、制限は120km/hだが、140km/h以上は出ている。何かあったらおしまいだとAbdu君にいうと、前がブレーキかけたらすぐ止まれるといっていた。これは怪しい。しかし車間距離をあけたら、また前に割り込んでくるだろうから結局一緒だ。ここで死ぬとしたら、テロではなく交通事故であると思った。
Hotelについて、近くのマーケットへ行ったが、ここも大きい。ミルクとヨーグルト(4.5SR)と水VOLVIC,6L(26.6SR)を買ってさらに電気ポット(176SR)を買った。電気ポットは差し込みが三つ又で、ホテルは2つ。コネクションを買わなければ。
持ってきた入浴剤、草津温泉に入って寝た。快適で全く不安感なし。誰が危険な国といっているのかわからない。帰り道で、ドライバーが道に迷ったら、誰となくみんながサポートしてくれるよといっていた。そして道すがら、あれがオサマビンラディンの工場だといって指を指した。彼は超リッチで、従業員は、50万人にはくだらないといっていたことを思い出した。






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